5、6年くらい前までは、"距離の離れた"友人に誕生日にお祝いの言葉をおくることは、そこまで頻繁に行われていたことでなかったと思う。つまり受け取った友人にとっても珍しい出来事。だからこそ、受け取った方と送った方の間にはスペシャルな空気感が生まれていた。日常にはない特別感が、そこにはあった。
誕生日という特別な日だからこそ、相手が出来る限り喜んでくれるような演出をしたい、とサプライズ好きな私にとって、久しく連絡をとっていない友人・知り合いとの連絡方法に、誕生日はうってつけだった。だって、相手も喜んでくれるし、久しぶりの連絡に話題が盛り上がる。イヤラしいとも思うが、とにかく良いきっかけだったのだ。
誕生日という特別な日だからこそ、相手が出来る限り喜んでくれるような演出をしたい、とサプライズ好きな私にとって、久しく連絡をとっていない友人・知り合いとの連絡方法に、誕生日はうってつけだった。だって、相手も喜んでくれるし、久しぶりの連絡に話題が盛り上がる。イヤラしいとも思うが、とにかく良いきっかけだったのだ。
Facebookというのはとても便利だが、私にとっての「久しぶりの友人との誕生日」というイベントを変えてしまった。「誕生日」は手紙よりも簡単に、メールよりも簡単に、「おめでとう」って送ることができてしまう。あるいは、ボタンひとつでお祝いの意志を示すことが出来る。
誰もが気軽に「おめでとう」を簡単に伝えられるものだから、私が確かに感じていた「スペシャル感」は薄れてしまった。その人との関係性を未来につなぐイベントは、Facebookによって、軽く、そして関係性までも薄くなってしまった。
決して「昔はよかった」ということを言いたいのではない。ただ、「距離のある友人との誕生日のフォーマット」がFacebook(などのソーシャルメディア)によって変わってしまったということ。技術は私の行動だけではなくて、友人との関係性も変えてしまうもの。5年前にFacebookが無かったということは、また5年を積み重ねると新しいツールが私の生活様式や友人との関係性をガラリと変えてしまうのかと思うと、とても不思議な気分になる。
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